参照 君子のみが楽を知る(1)
【解説】
ここでは、音(音楽)が人の心の動きによって生まれること、外物による心の動きによって声が形となってあらわれ、声が法則性を持ったものが音であると、上に述べたことを要約し、それゆえに治世、乱世、亡国などの政治の在り方と、安んじて楽しい、怨んで怒る、哀しんで思うなどの音楽の在り方に相関関係があることが説かれる。
なお詩経大序(毛詩序)にも以下のようにほぼ同文が見られる。
詩なる者は志の之く所なり。心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す。情中に動きて言に形る。之を言ひて足らず、故に之を嗟嘆す、之を嗟嘆して足らず、故に之を永歌す、之を永歌して足らず、手の之を舞ひ、足の之を踏むを知らざるなり。情は声に発し、声は文を成す、之を音と謂ふ。治世の音は安んじて以て楽し、其の政和すればなり。乱世の音は怨みて以て怒る。其の政乖けばなり。亡国の音は哀しみ以て思ひ。其の民困しめばなり。故に得失を正し、天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きは莫し。
(新釈漢文大系 第83巻 文選《文章篇》中 P.459)
【補説】
『礼記楽記篇』(および詩経大序)に説かれる世の中の治乱と音楽の在り方をめぐる論は、政治の要諦として日本の社会に広く浸透し、楽書以外にも多くの引用例が見出せる(→【日本の文献に引用された楽記】)。また直接的な引用にとどまらず、こうした考え方が濃厚に反映されている例も随所に見られる。例えば、南北朝時代に北畠親房(1293~1354)が著した『神皇正統記』には、
「金石糸竹の楽は四学の一にて、もはら政をする本也。今は芸能の如くに思へる、無念のこと也。風を移し俗をかふるには楽よりよきはなし、といへり。一音より五声、十二律に転じて、治乱をわきまへ、興衰を知べき道とこそみえたれ。」
と見え、時代は下って、江戸時代に津島神社の神官の真野時綱(1648~1717)が著した『古今神学類編』巻四十四(祭司篇)には
「天下ノ治乱、国家ノ盛衰ハ音楽ニテ知レ之ト云リ。是故ニ雅楽頭、天下ノ非楽ヲ正シ、世雅楽ヲ撰テ是ヲ楽府ニ畜フ。唐ノ玄宗ノ時、安禄山ガ乱モ音楽ニアラハレ、我朝ノ伊勢踊ノ後モ騒乱アリト云リ。惣テ仏説ニモ此沙汰アリ。聖徳太子、音楽ヲ糺シテ天王寺ノ伶人今ニ奏レ之、大原ノ声明、亦此類也ト。」
と見えている。
【日本の文献に引用された楽記】
① 『続教訓鈔』八 /『覆刻日本古典全集 続教訓鈔』(342頁)
礼記楽記ニ曰、凡ソ音ハ人ノ心ヲ生スルモノナリ。情ノ中ニ動ク故ニ声ヲ形ハス。声文ヲ成ス。是ヲ音トイフ。是ノ故ニ治世ノ音ハ安クシテ以テ楽シ其政コト和ラケハナリ。乱世ノ音ハ怨ミテ以テ怒。其政コト乖也。亡国ノ音ハ哀シムテ以テ患(クルシ)。其民困也。声音ノミチ政道ト與(ヒトシ)。毛詩序文同之。
②『體源鈔』十 /『覆刻日本古典全集 體源鈔』(1279頁)
礼記楽記ニ曰ク、凡ソ音ハ人之心ヲ生スルモノ也。情中ニ動ク故ニ声ヲ形ハス声文ヲ成ス。コレヲ音ト云、是ノ故ニ治世ノ音ハ安クシテ楽ノシ。其政コト和ラケバナリ。乱世ノ 音ハ怨ミテ以上テ怒(イカル)、其政コト乖(ソム)ケハナリ。亡国之音ハ哀シムテ以テ患(クルシ)、其民困(クルシメハ)ナリ。声音ノミチ與レ政通ズ、毛詩序文同之
③『大治改元定記』 /『続群書類従 第十一輯上 公事部』(260頁)
政和
礼記曰。治世之音安。以楽其政和。
*『大治改元定記』は源師時(1077〜1136)の日記の『長秋記』より抄出した大治元年(1126)改元定の記録。
「政和」は行盛の三案の一つであったが、実際に採用された元号は「大治」。
・・・・・・・・・・・・・
(以下は詩経大序からの引用)
①『野守鏡』 /『群書類従 第二十七輯 雑部』(497頁)
又詩序に。おさまれる世のこゑはやすくしてたのしめり。みだれる世のこゑはうらみていかれり。
*『野守鏡』は鎌倉時代の歌論書。永仁3年(1295)9月成立。
著者は源有房(1251-1319)か。
②『五音曲条々』 /『日本思想体系24 世阿弥 禅竹』(202頁)
一、詩序云、
治世之音、安以楽。其政和 。
乱世之音、怨以怒。其政乖。
亡国之音、哀以思。其民困。
故正二得失一、動二天地一。感二鬼神一。
*『五音曲条々』は、世阿弥の伝書の一。
○『習道書』 /『日本古典文学全集88 能楽論集』(407頁)
これは、しかしながら、老若の調子を変へて色どりたるゆゑに、老若の調子一音に連曲して、不意音文に成就しぬ。これすなはち、「治まれる世の声」に相当して、「安て楽しむ」声にてやあらん。しかれば、かくのごとく、いにしへの役者の上手は、ただ一座の為手の感を本として、即座一興の成就をなしし事、当代までの手本ならずや。詩序に云はく、「治世(をさまれるよ)之(の)音(こゑは)、 安(やすんじて)以(もて)楽(たのしめり)」と。
*『習道書』は世阿弥の伝書の一。
○『東野州聞書』 /『群書類従 第十六輯 和歌部』(489頁)
一同十月四日常光院へまかる。其時かたり侍し。毛詩の文也。
周詩関雎序略曰。情発レ於レ声。声成レ文。謂二之音一。治世之音。安以楽。其政和。乱世之音。怨以怒。其政乖。亡国之音。哀以思。其民困。故正二得失一。動二天地一。感二鬼神一。莫レ近レ於レ詩。
*『東野州聞書』は和歌に関する口伝の聞書。東常縁(1401~1484頃)著。
○『かりねのすさみ』 /『続群書類従 第十七輯上 和歌部』(22頁)
詩の序云。治世之音安以楽。乱世之音怨以怒といふも。そのこゑをもつて世の盛衰をはかりしる事侍にこそ。
*『かりねのすさみ』は、明応8年(1499)成立の歌論書。素純(?~1530)著。
素純は東常縁の子。
○『閑吟集』真名序 /『日本古典文学全集42』(420-421頁)
嗟二嘆之一不レ足、詠二歌之一。詠二歌之一不レ足、不レ知二手之舞足之踏一之也。治世之音安以楽、其政和。乱世之音怨以怒、其政乖。正二得失一動二天地一感二鬼神一、莫レ近二於詩一。
*『閑吟集』は小歌の歌謡集。永正15年(1518)成立。
○『戴恩記』 /『続群書類従 第三十二輯下 雑部』(629頁)
故に詩の序に治レル世之音ハ安シテ且ツ楽ナリ。乱世之音ハ怨以テ怒ル。よのみたるゝもおさまるも。皆歌の風にてしる事あり。人の身上も其ことくなれは。あしき風をよむは其身の損なり。
*『戴恩記』は、江戸時代の歌学書。松永貞徳(1571~1654)著。正保元年(1644)頃に成立。天和2年(1682)刊。
○『室町殿行幸記』 /『群書類従 第三輯 帝王部』(574頁)
冬日侍二 行幸室町第一同詠二松色映池一和歌一首并序。
従一位藤原兼良
東京城外勝境。左相府中名園。水引二鴨川之支流一。山移二鼇背之品字一。戯乎太液何以過レ此。積翠未レ足レ比焉。
吾后乗二万機之余閑一。動二 六竜之遊幸一。漢文駐蹕之地。再回二細柳営之春一。宋祖定策之時。更下二韓王堂之雪一。不三啻継二累聖之遺美一。亦得レ睹二永徳之旧儀一。数張二釣天乎階前一。治世之音盈レ耳。方賦二湛露乎池上一。嘉賞之燕楽レ情。観夫長松蔭波。為レ侶者丹頂緑毛之遐寿。麗藻照水。可レ師者素我斑鳩之古風。小臣捧二戴 皇恩一。陪二厠御宴一。雖レ謝二逸興於柿下之什一。聊伸二雅懐於楮尾之余一。其詞曰。
池水の浪も色そふ松かけになひく玉藻は千代の数かも
*『室町殿行幸記』は後花園天皇の室町第行幸に関する記録。
○『聚楽第行幸記』 /『群書類従 第三輯 帝王部』(623、624頁)
故人の云。和歌に治世の音。乱世の音ありとなん。御製并殿下の御詠歌等。変風のたいを嫌ひ。正雅の趣を得玉ふは。寧治世の声にあらざらんや。
*『聚楽第行幸記』は天正16年(1588)4月の後陽成天皇の聚楽第行幸に関する記録。

